へき地医療フィールドワークin大鹿村

                                                                                
長野県民主医療機関連合会【民医連】では、これまで長野県南部の中間山間地と呼ばれる地域のフィールドワークを行ってきました。医療に恵まれているとは言えない状況下で、医療や介護についてどう向き合っているのか。
学生のみなさんと一緒に考えてきました5月7日〜8日、今回は、学生(看護学生、医学生、保健学科生)職員30人規模で、長野県飯田市にある健和会病院から車で約1時間半かかる下伊那郡大鹿村での企画でした。
大鹿村は峠に囲まれた場所であり、人口が1200人、高齢化率が48%と言われているそうです。


そこに住んでいる高齢者の患者で腹膜透析を行っている患者がおり、その方の私生活について訪問しどのような治療をおこなっているか学びました。
 

腹膜透析とは

体内の腹膜を使って、体内で血液を浄化します。自宅や職場など、社会生活の中で行う在宅療法です。腹膜透析には、24時間連続した透析で身体に負担が少ないCAPD(連続携行式腹膜透析)と、機械を使って、夜間就寝中に自宅で自動的に透析を行うAPD(自動腹膜透析)があります

又、唯一村にある診療所にお邪魔し、村での診察、往診状態を聞きいくつかの事例を紹介して頂きました。診療所は村の役場と隣接されており、診療所は医師1名、看護師2名、事務1名そのほか週2回歯科医1名と少ない人数で診察されていました。患者が診察に来る日は1日多くて30人だそうです。
その日の夜の夕食では大自然の村ということで山菜中心の料理や、大鹿村では人間より「鹿」が多いと言われている村のようで鹿肉を使ったステーキ!!朝食ではイナゴの甘露煮が〜!?(私個人にがてです・・・。)
次の日では、大鹿村の探索としてウォークラリーを各班5〜6人ほどでわかれてゲームを交えて村の風景、景色を眺め、今が時期の桃花の鮮やかな彩を堪能されていました。
今回の企画で7回目ということで、これからもこの企画を多くの学生に参加してくれるよう盛りだくさんの楽しく学べる環境を作っていきましょう。


ふせや

お花見!!

今回は下諏訪町でのとある小さな地区の会をご紹介!!


                                              ↑ 水月公園から見た諏訪湖 →
4月某所、諏訪郡下諏訪町の高台に水月公園がある。諏訪地方随一の桜の名所。ソメイヨシノ、小彼岸ざくらが約500本植えられている。公園内には諏訪盆地、諏訪湖が一望できる景勝地で赤彦、子規、芭蕉をはじめとする文学碑が40数基ある。ぼんぼり点灯、茶店の出店があります。
毎年この時期行なわれているお花見会、今回は10〜13人が集まり40歳後半から80歳位になる高齢者が集まり、きれいに咲いている花を見ながら交流されていました。
下諏訪はまだ7部咲きくらいで花もまだまだ満開にはならずの状態です。
お花見会以外に毎月1回下諏訪にあるお店に集まりお酒の好きな方々ご夫婦などで集まり楽しく歌ったり、踊ったり。
年1回旅行に出かけたり仲の良い楽しい集まりです。
一緒に飲んでいれば、どちらが若者かと言う位とても元気でいらしています。
町、地区の方々と楽しく過ごせるのはとてもうれしいです。いつまでもこの元気な姿をいつまでも・・・。

それにしてもみなさんお酒強い!?
(ふせや)

へき地医療(離島)

足元は素足にわらぞうりかサンダルで海がうなる吹雪の日も、桜舞い散る春の日も。
下甑島。そこは鹿児島本土から西へ船で当時は6時間かかったと言う。現在はこうそくせんのも出来きたがそれでも1時間15分かかると言う。そんなへき地である
2011年3月朝日新聞での記事を紹介します。
瀬戸上健二郎

(せとうえ けんじろう)鹿児島県肝属郡東串良出身。 鹿児島大学医学部卒。 同大付属病院に勤務後、1972年から国立療養所南九州病院で外科医長を務める。 テレビドラマとしても人気の漫画「Dr.コトー診療所」。その主人公のモデルになったのが瀬戸上医師であり、現在、鹿児島県薩摩川内市下甑島にいる。県本土から赴任し、30年近く診療所長を務める


瀬戸上医師は、開業するために病院をやめた時、下甑村(しもこしき)から「半年だけでもきてほしい」と頼まれた。
医師は瀬戸上1人、看護師と事務員が地元の2人ずつ。
診療所は当時ウミガメが産卵に上がってくる美しい浜辺のすぐ目の前にあった。だが、玄関の鉄の扉は赤くさび、まるで牢屋のようだと思った。手術室には麻酔機はなく手術台はさび村人に「死んでもココで手術は受けたくない」と言われた。
だが、ここは島にたった1つの入院できる「最後の砦」村は麻酔機を買い、救急に備えた。
「年中無休、24時間すべて診る」覚悟を決めた瀬戸上医師
半年だけのつもりが、気が付けば33年になっていた。
瀬戸上医師が島に来る前の医師は短いと4ヶ月、長くて6年だった。
なぜ?と聞かれる度に「おもしろかったから」と応えてきた。だが本当かと自問する「むしろ厳しい、苦しい、情けない思いもしてきた。」
こんな島にいたら医者として時代遅れになるのでは・・・。何よりも難しかったのは、開業を夢見る若さのマグマを抑え込むことだった。
86年に現在ある高台に移り、ベットは19床、ガンの手術、最新のCTも入れ人工透析もできる診療所になり、スタッフ22人。離島診療を学びに来る研修医や学生も訪れるようになり宿舎も村で建てた。
3千人の村人のカルテは頭の中にあり千人以上を看取ってきた。
人に関わらず飛べなくなったカモメ、難産の牛、何でも診てきた。
東京から見たらへき地、離島にすぎないけれど、島人にとっては島こそ地球の中心だ」
村人は瀬戸上医師に信頼されている。

「潜水病で3度、先生に命救われたんよ。神様は見えんけんど先生は見える神様や。」「あたしが死んだらこの体研究に使ってや」
ある患者は、腹部大動脈瘤が見つかった。ガンの手術は診療所の設備でも自信があった。でも大動脈瘤の手術はしたことない。本土の大病院での手術をすすめたが患者は、「命は神様に、病気は先生に。それでつきたらそれが寿命」専門の医師を診療所に招き2人で手術した。
村人の一人が長崎で医師をする娘婿から「こっちに来ませんか」と言われた。瀬戸上医師に相談すると「島におったらいい、最後まで診るから」瀬戸上医師にすべてを託そうと思っている。亡き夫のように・・。
70歳になった。外科医には賞味期限がある、視力も落ちてきた、限界も感じる。
「だから面白い、年を取らないとわからない未体験ゾーンに入ったから」
平成16年辺りでは全国に800ヶ所位離島や山間部にへき地があったと言われています。全国各地で高齢化が進み、人口が少なくなっている地区もあるため「へき地」と呼ばれる地域はだんだんと減ってきています。しかしまだそういう土地に医師を待っている人々がたくさんいます。そのような住人の健康問題を解決するために必要な総合的な能力・知識をもった医師「プライマリケア医」、行政との連携し医師不足を解消していかなければ・・。
(ふせや)

新しい命!?


「えっ!?」
「子どもが出来たの?」と叫ぶ自分。
妻の具合が悪くなり吐き気が起きてきたのが今から2ヶ月前。
気分が今までと違う感じだったと言う。
病院の外来に行き、看護師に「心当たりある?」「はい。」
検査の結果2週間と判明。
その後、町の産婦人科に赴き超音波で確認
4週目、
医師は「まだ小さくて見えないな〜。」「1ヵ月後にまた診察ね」
エコーをもらってきたがまだまだ小さくてわからなかった。
1ヶ月後、
出血などの症状はなかったが具合が悪く食べ物を食べても気持ちが悪くすく吐き出していた日々が1ヵ月も続いた。
少しおかしいんじゃないか?と思った。

医師は「ん、んっ!?」「大きくなっていないな」「これは、稽留流産かも?」

稽留流産とは

胎児の発育が停止したものの、腹痛や出血などのいわゆる流産徴候が全くないままに2週間以上経過してしまう場合を稽留流産といいます。切迫流産とは違い、治療しても妊娠を継続することは不可能な状態ですから、人工的に掻爬を行わなければならない。妊娠6、7週に起こりやすいのが特徴

「赤ちゃんの心拍が確認できませんでした。残念です。」
唖然とした。
「流産は流産する確率は全妊娠のうちの約10〜15%であると言われています決して流産自体は珍しいものではありません」と言われた。


がいざ目の前で経験すると胸が苦しくなった。妻は泣いていた。自分はグッとこらえた・・・。妻の方はきっとショックが大きすぎて受け入れることができ無かったと思う。

「命は大切だけど、この子は自分が病気だと感じて生まれてこなかったんだよ、だから泣かないで、笑って、きっといつかまた・・。」
(ふせや)

医学生集結!!


本日、信州大学の新入生さんが初めて県連に来てくれました。
先輩の医学生もたくさん集まって職員と一緒に新しい仲間を歓迎しました!!
緊張気味の新入生さん。
先輩達から大学生活でのアドバイスを熱心に聞きこんでいました。

これから大学生活のスタートです。
楽しいことや悲しいこと、辛いことがたくさん待っていると思います。
でも、周りにはたくさんの仲間、先輩、職員がついています。
自分を見失わないように
みんな応援しています。
ガンバって!!
(ふせや)

民医連支援活動


坂総合病院の様子

東日本大震災発生から3週間が立ちました。
全日本民医連からの東北支援に入った支援者数は(1日現在)1420名(医師260名、看護師424名、事務392名)です。延べ数は6303名となっています。
このうち、長野県民医連からの支援者は(29日現在)78名になっています。(医師11名、看護23名、リハ11名、検査2名、MSW2名、調理1名、ME1名、施設管理1名、薬剤師1名、事務19名(述べ数345名に)

被災地では、今も直接、民医連の職員が被災された方の支援、患者の治療に当たって奮闘されています。又次々と東北に向け民医連の職員が支援の部隊を送り出すために準備されています。
地震発生から多くの支援募金も集まっています。
全日本民医連では(1日現在)9200万円突破!!したそうです
長野県民医連では(29日現在)800万円突破!!です。まだまだ支援金は増えています。

4月から北関東甲信越地協と山形民医連で松島海岸診療所の方で支援活動を行なうようになりました。
3週間経った今、刻一刻と新たな支援活動が必要になってきております
被災者のメンタルのケアーも3週間になればストレスも溜まり、疲れも出てくる頃です。
長期にわたる生活支援になります。
みなさんで力をあわせてがんばりましょう!!
(ふせや)

信州大学 テント活動!!


信州大学に毎年行なっている、生協前キャンパスでテント活動を3月30日から今日で3日目!!(2日はサークル紹介企画フリーディビィジョンでキャンパス使用のため出来ませんでした。)
今日(4/3)は信大のシラバス配布!!
シラバスとは(講義の摘要。講義要目。学年あるいは学期中の授業・講義の計画や内容の概略を各時限ごとに記したもの。)

4月6日までテント活動を行い、信大新入生に対しての活動を行ないます。

学生企画、奨学金、活動、を中心に学生とお話をし民医連の魅力が伝わるように!!
又、震災支援についての民医連の活動も語れればいいかと。



まだまだ寒い時期であるけれど


明日は入学式!!


より多くの学生とお話ができればと。
(ふせや)